銀座まるかん名誉師範が選ぶ『斉藤一人さんの言葉』

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私と斎藤一人さん(ひとりさん)との出会い

   

私は、いまから10年くらい前に斎藤一人さんと出会いました。
平成16年(2004年)か17年(2005年)くらいだったと思います。
(その後、私は、平成18年(2006年)4月から銀座まるかんの仕事を自宅で
始めることになりますので、それよりも、1年くらい前に
出会ったのだと思います。)
 
さて、どういう出会いかただったのか・・・
それが面白いのですが。
私の出身は千葉です。千葉の千葉市に住んでいました。そしていつも
行きつけの地元の美容室があり、そこには、6年くらい通っていました。
6年も通っていて、さらには美容師さんとも歳が近かったので、かなり
お友達のようになっていました。
いつものように美容室に行くと、チラシを持ってきて
「営業の人が来てね、チラシを置いて行ったのよ。これ面白いよね」
ということでした。
 
当時、千葉エリアを担当していた和美隊(小俣和美さんが社長。のちに
まるかんを脱退して、ナレルという独自ブランドを立ち上げて、
まるかんとは他社さんとなる)は、美容室への営業に力を入れていて、
美容室に銀座まるかんの商品を置いてもらうような方針を立てていた
みたいです。
 
美容師さんも、銀座まるかんのことは特に知らないようでした。そして、
面白半分で私に話を振っただけで、それから何度がチラシを見せてくれ
たりましたが、商品がそこにあるわけでもなく、そのままになっていました。
 
私は、気になって調べたいと思ってチラシに掲載してあるフリーダイヤル
をメモさせてもらって、自宅に帰って電話をかけてみました。
電話を出た人は、普通の人でといったらおかしいけど、普通、テレアポの
人って、喋りがうまかったりしますが、まるかんは、本当に普通の主婦と
しゃべっているようでした。おかしかったです。
そこで、近くのお店を紹介してもらいました。
そこが、千葉中央駅の近くの銀座まるかんの直営店だったのです。
 
今思えば、このときに直営店に行けたことが、私の運命を変えたといっても
いいくらの出会いでした。
さっそく、同居していた母を連れて、直営店に行きました。
千葉駅周辺は、JR千葉駅から京成線千葉中央駅にかけて、ショッピング街に
なっています。
JR千葉駅から、この店舗に行くためには、このショッピング街を抜けて、
20分ほどかかります。
やっと到着して、ビルの中の一室に入りました。
このお店も普通の主婦がやっているお店でした。
素敵な販売員がやっていると思いきや、普通の主婦が出てきたので、
ある意味ビックリしました、後からはこれがまるかん流なんだという
ことが分りました。
 
とても親切にしてくれて、体の痛い所やダイエットのことなどをお話すると、
商品をすすめてくれました。
買うつもりはなかったのですが、母はダイエットをしなければいけない時期
だったので、スリムドカンを買いました。
あとから、これがあの有名なスリムドカンだったということを知りました。
 
そして、その店員さんは、斎藤一人さんのことをお話されました。
お店の人は、ひとりさんのことを大社長と云います。
ご自分のところの和美社長と区別するため、社長の上にいるから、大社長と
いうそうです。
その当時は、「ひとりさん」という言い方をするよりも大社長って言っていた
と思います。
 
それで、大社長はすばらしいというお話を聞いて、さらにはひとりさんが
書いた本をすすめてくれました。
また、
「ひとりさんが、こういういい商品を作ってくれてね」
とか言って、ひとりさんのことを、とっても尊敬している様子が伺えました。
 
その時に、私は、斎藤一人さんという人が、この銀座まるかんを創設した
人だということをしりました。
なんにも知らないまま、お店に行ったのです。
 
 
斎藤一人さんと云う人は、実は一度、テレビで見て知っていました。
それも、なんとなくつけていた午後の時間のワイドショー。
それが、長者番付が発表になった日らしく、斎藤一人さんを訪ねて、レポーター
が銀座まるかんの本社を訪ねるというものでした。
しかし、ひとりさんはいなく、社員に聞くと、
「会社にはほとんどいない」
「不思議な人」
「写真は一枚もない」
という話で、
レポーターは
「不思議な人ですよね~」
と締めくくるというものでした。
 
そのときに、このテレビ番組のことを思い出して、あのときに不思議な人が
この銀座まるかんを作った人かも・・・!?
と調べはじめたら・・・
そうだったのです。
この不思議な人、斎藤一人さんが銀座まるかんを作り、納税日本一の人だった
のです。
たぶんこの時のテレビは、平成9年(1997年)に斎藤一人さんが納税日本一に
なったときのレポートだったのではないかと思います。
 
 
このテレビ番組とひとりさんに出会う前に、私が考えていたことがあるので、
これも書いておきます。

当時、OLで仕事をしていました。しかし、仕事自体はやりがいも面白味もなく、
なんだか嫌になっちゃう、という気持ちで生活をしていました。
その職場は、女性にはチャンスや仕事を与えないところで、また、お給料体制も
がんばっても、がんばらなくて成果を出さなくても、同じお給料が支給される
という不思議な会社でした。
だから、がんばっただけ損というか、周りの人たちも、あまりがんばる人もいなく
職場で時間を過ごすだけでやりがいも感じていなかったのです。
 
おかしいと思っていて、もう日本の会社に勤めるのもやめて、アメリカに行こう
かなと思っていました。
アメリカのほうがお金を稼ぐことができると思ったからです。
また、アメリカのお金持ちにあこがれがありました。
お金を稼いで、図書館を建てたり、大学を作ったり・・・自分のお金で社会貢献を
するのです。
日本には、そんな金持ちはいない、だからアメリカの金持ちのほうが偉いのだと
思っていました。
 
そんなときに、日本の金持ちってどういう人がいるのか、気になりました。
実業家で、税金をたくさん納めている、「私が考える素晴らしいお金持ち」は
どのくらいいるのだろうか?
当時の私は、お金持ちというのは、親がお金持ちでその財産を継いでいる人、
または、グレーなことをやってお金を稼いだ人というのが、お金持ちの定義でした。
だから、そういう人たちは、ご自分のお金を使って、社会貢献もしていないので
私にとっては、理想とするお金持ちではありませんでした。
そして、長者番付を調べた結果、斎藤一人という人が、長者番付に良く載っている
ことが分りました。
また、その人は、相続などで一度に税金を払った人ではなくて、純粋に事業所得だけ
で、毎年長者番付に出ていたのでした。
これには驚き、こういう人がいるんだと名前を憶えていました。
 
それも、まるかんのお店に行ったときに思い出して、私が理想とするお金持ちが
作った会社なんだ、と思って一人で興奮していました。
 
こういう経緯で、私はひとりさんに出会うことができました。
これから、私の人生は大きく変わっていきます。

 - 私とひとりさん