銀座まるかん名誉師範が選ぶ『斉藤一人さんの言葉』

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進化の過程

   

今日は、進化について、一人さんが面白いことを
言っていたことがあるので、それについて書きたいと思います。

猿が人間に進化したとすると、
今、人間に進化している最中の猿がいてもおかしくないんですよね。

でも、いないんです。

一人さんがこう言っています。

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シーラカンスというお魚がいるでしょ?

で、シーラカンスが魚の先祖だとしたら、シーラカンスがいるのがおかしいんだ。

シーラカンスがいるから、進化論は嘘なんである。
なぜかっていうと、進化してたらいるわけがない。
進化しないから、いるわけである。

ガラパゴスとかって島を見たとき、これで進化論が証明された。
って、進化してないんだから、進化しないんだ、ということですよね。

どちが正しいか、あと何百年たつ分かるんですけど、それはどっちでもいいんだけど。
人間は人間として生まれたから、人間として進化する。
もし猿が進化して人間になったなら、常に猿と人間の中間がいなきゃいけない。

サルは今頃コンピューターか電卓ぐらいは持ってる。
と、いうことだよね?
サルはバナナ食っても電卓叩かない、という、まこういうことですね。

必然的に、神様が人間の魂が入りやすいものを創ってくれた。
鯛は鯛として創った。
昔の魚は、時々あわなくなると絶滅するんです。
進化じゃないんです。要らなくなってきちゃう。
だんだん、要らなくなると、新陳代謝される。

『諸行無常』というんです。
すべてのものは常ならむ、要するに無常である。
諸行無常とかっていうと、また坊さんは仕事だから頑張っちゃって、この世の中は~どのぐらい~アレかとかっていうと気になっちゃうんだよ。
ただ、諸行無常ってのは、古いものが無くなり新しいものが生まれる、それを生成発展するという。

で、人間が死ぬのは生成発展の過程なの、ずーっと年寄りが生きてるわけじゃないの。
だから、会社も、古い会社が無くなり新しい会社が出来る。
古い会社が営々と大きくなってんのには、新しいアイディアが出る。
そうすると、新しいアイディアが出ると古いアイディアを引っ込めてる。
新陳代謝する。それが生成発展なんだ。

だから、諸行無常ときたら、あぁ生成発展の元なんである、と。
いうように、思えばよろしいということですね。
だから、諸行無常ってのは、この世の中は無常なんだよ。悲しいものなんだよ、なんてお釈迦さまがそんな否定的なこと言うわけないの。あとから解釈した奴が否定的なだけ。

世の中、生成発展としてる。
ここが、ここが天国なんだ。

CD『楽しい生まれ変わり 』
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では、どうやって人間はできたのか?

要は、歴史の中で、人間に進化した猿と、進化しなかった猿がいるんですよね

猿が人間に進化した過程で、いろいろな説がありますが
私が一番有力だと思っているのは、水中進化論ですね。

地球に隕石が衝突して、噴煙が大地をおおい
木々が枯れ、木の上に餌がなくなり困った猿が地上に降りた。

しかし地上には獰猛な動物ばかり。

そこで、地上に降りたサルたちは、海に逃げたのです。
四本足で海に入ると、深くまでいけません。
ですから、二本足立つようになった。

貝や魚などの食べ物をとるために、手が器用になった。
手先を器用に使うため、脳が発展した。
顔まで水につかっていたので、頭以外の毛が必要なくなった。

こんな感じです。

進化には、いろいろな説があるので、
この水中進化論が正しいかどうかはわかりません。

しかし、ここで言いたいのは、
進化した猿と進化しない猿がいたということで
進化した猿は、進化するべくして進化した。

つまり、神様が、人間を必要としているため
人間に進化する猿が生まれる環境を作ったんですね。

そして予定通り人間に進化した。

例えば、水中進化論が正しいとして、猿を海に放てば
その猿は進化するかと言えば、そんなことはないですよね。

つまり、人間に進化するために、都合のいい環境で
都合のいい状態で進化していく環境があり、
その進化にのった猿が人間になった。

その環境を与えたのは、人間を作ろうとしている神の御心だったのです。

ですから、人間を神様が作ってくれたのであって
そんな人間を作ってくれた神様に感謝していかないといけないんですね。

 - 一人論